核兵器を廃絶するには核兵器が無効となるような新技術を待つ必要がある。
例えば、サイバー攻撃などで、核兵器を発射した途端即時に起爆させてしまうようなシステムであるとか。
さもなくば、人類全体が「次元上昇」でもしてそういうことに一切興味を持たなくなるとか。しかし、現時点での人類の状況を見るとそれは5000%以上の確率でなさそうだが。
言葉だけの核廃絶ほど危険な思想はない。言ってる人間は平和に貢献している自分、といった優等生的自己満足を得られるのかもしれないが。ただそれだけのことである。
井戸端の主婦が「核兵器なんて嫌ねえ。怖いわねえ。」というのは可愛らしいものだけれども。
仮に米露中欧など現在核兵器を所有している全ての国家が核を廃絶したとする。
その時、北朝鮮のような国家が核兵器を所持して世界を脅迫したらどうなるか。
今現在米国が北朝鮮に戦争を仕掛けるのかどうか分からないが、彼らの技術が完全なものになればもう米国と言えども攻撃することは極めて困難になるだろう。
皮肉にも北朝鮮という国家が「核兵器」を持つことの意味を証明してくれている。
核兵器をいくら廃絶しても核兵器の作り方を葬れる訳ではない。
国家ではなく個人や集団組織が持ったとしても状況は同じことだ。そのほうがもっと恐ろしいかもしれない。
とは言え、核兵器を持つ国同士はほぼ100%戦争はしない。というよりもできない。ごく限定的な小競り合い程度のことがあったとしてもそれ以上の戦争行為は身の破滅だからだ。
こういう議論を日本人はもっとすべきだ。
「気持ち」で平和は勝ち取れないという世界の現実を直視した上での議論が必要になる。
核兵器反対派というのはこういう議論をしたがらない。理屈で勝てないことがわかっているからだ。だからひたすら情緒に訴え、心情論で、やめましょう、よくないことですから、恐ろしいことなんだからと。
そんなことは分かりきったことだ。
しかし、国連というのは一体なんなんだろう。使用の威嚇を禁止したからと言って何になるのだろう。
そもそも核というのは所有していることだけで威嚇の意味がある兵器だというに。
核兵器を使用させないリアリズムというものを徹底的に追求するというのならばまだそれなりに納得できるのだが。

