古代史や伝承を見ると、海から上陸し川を移動するということが多い。現代人の我々からすると陸行が早いだろうと感じる。海外に行くわけでもないのにと思う。

古文書や現代の人口推計等で導き出された過去の日本の人口は、蘇我氏全盛期の頃(600年頃)で400万人。関ヶ原合戦の頃(1600年)で1200万人。

なお幕末維新期で3000万人である。

大東亜戦争期は、台湾、朝鮮、及び樺太などの北方諸島や南洋の委任統治領を含めて1億。だから一億玉砕という言葉がある。

当時、日本列島に限れば7000万くらい。日本の人口は明治以降昭和初期で倍増。戦後からさらに倍増している。

それはさておき。

こう考えると出雲日向の時代は、300万人かそれよりも少ない人口。日本全土で名古屋市(230万)か横浜市(370万)くらいの人口しかいなかった。

ほとんどが道なき山森林、沼地雑草地で陸上の移動はごく一部を除き相当に困難であり、川や、海岸に沿った海を船で、あるいは川沿いにや海沿いに移動するのが主な交通路であっただろう。

四国の徳島県に阿波國があり関東の千葉県に安房國がある。四国の阿波から来た種族が、千葉の房総半島の南部に上陸し移り住んだ。千葉の安房神社などへ行くとそのような伝承が残っている。

こういうのも、海に沿って船のようなもので移動し、近いところから川などを利用しつつ陸上を移動する。

また、千葉県と茨城県の境目の辺り、霞ヶ浦の辺りにも上陸譚がある。大和を追われたナガスネヒコ一行ががこの辺りに上陸した。その一帯に鹿島香取の両神宮の他、古社が分布している。

この辺りにニギハヤヒを祀る古社があり、そこの宮司と話をしたことがある。香取鹿島神宮は、古代は海に面していたのだと言う。あそこは上陸地なんだと語っていたのを覚えている。

この地域はその後幾多の奥州征伐の際の通路ともなる。

先日記した気多大社などもそうであろう。出雲を脱出した建御名方一行が能登から越中辺りに上陸し、越中から越後の境目辺りから川沿いに諏訪に達した。

古代は陸より海川を移動する方が早かった。

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