日本人は自らが携わる仕事を無心へと向かう修練のための「道」として捉え、その実践からの萌芽と洗練によって醸成される世界や世界観を自らの文明の根幹として積み上げてきた。

これを時として「大和心」と呼ぶこともある。「和魂洋才」「和魂漢才」の和魂の部分だ。

このようなある種の特殊性はもしかすると日本人が持つ特異な民族性によるものかもしれない。

なぜならば、我々はどれほどの歴史の荒波が打ち寄せてもその「特殊性」を不思議なことに失わずにきたからである。

我々はそれを当たり前のように「何も考えず」実行する。それが当然のことだと思っている。

今回の選挙戦の結果もそう言った能力の枝葉だ。あのような政治的成果は近年の世界史の中でも極めて稀な事例である。

山本七平はこれを「空気」と呼び、日本人の不可解さの象徴的な意識的プロセスの解明を試みた。氏の洞察は優れたものだったが、実はもっと深い世界がそこには存在すると私は思っている。

我々は集団としてより高位なもの「八百万の世界」と無意識に一体化できる能力があると言うことである。

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