三種の神器と言えば、八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙劔だが、このうち八咫鏡は宮中賢所にある。

崇神天皇の御代まで、宮中に三鏡鎮座であったという記載が『天孫人種六千年史の研究』に記載されている。

『「大倭本紀」に、天孫降臨の時、天懸大神、國懸大神、御食津神の三鏡を持ち降られたと見え、崇神帝の朝までは宮中に同殿同床であって、常時三鏡共に模造して宮中賢所に祀られた。』

御神体としての鏡は三鏡あり、崇神天皇の時代までは、宮中にあったが、その後、伊勢神宮、日前・國懸神宮などに移された。

三鏡のうちの一は、今も宮中賢所にある八咫鏡(伊勢神宮内宮のものと同一の模造)であるが、残り二鏡に関して、紀伊国の日前・國懸神宮の鏡、もう一つは伊勢神宮外宮の御神体の鏡であると言う。

外宮の御神体が鏡であるということは現代においては認識されていない。

『天孫人種六千年史の研究』においては、かくの如く記載されている。

まず、「倭姫命世記」に、

「天照皇大神宮一座、御霊御形八咫鏡坐、、、、豊受大神一座、御霊御形真辺津鏡坐、円鏡也。神代三面内也」

とあり、三面の鏡のうちのふたつは、八咫鏡、もうひとつは、真辺津鏡であると。

そして、さらに、釈日本紀において、天徳四年(960年)の内裏火災に関する記述の中で、賢所の神鏡に関する記述があり、

「賢所三所、一所の鏡は伊勢御神は火災で破損、一所は破損なし、一所の鏡は、紀伊国御神で破損」

とあり、ここからは、内宮賢所の伊勢の八咫鏡、日前・國懸神宮の鏡であることがわかる。

村上天皇の御代、天徳四年の内裏消失までは、三鏡の模造が宮中賢所にあったということか。

しかし、ここでいくつかの疑問がわく。

日前・國懸神宮の鏡は、由緒によれば、日前宮の御神体を日像鏡、國懸神宮の御神体を日矛鏡の計二鏡としており、これは天照大御神の岩戸隠れの際、石凝姥命(イシゴリトメ)によって、鋳造された三鏡のうちの残り二つの鏡であり、八咫鏡よりも先に鋳造されたものだ、と言う。

宮中安置の三鏡の内の一つは、八咫鏡に相違ないとして、残り二鏡が、日前・國懸神宮の鏡として、これは、日像鏡なのか、日矛鏡なのか。

『天孫人種六千年史の研究』にはこうある。

「紀国造伝に因ると、日前大神は鏡、國懸大神は日矛である。」

日前とは天照大神の前に座す神であるから、日前。

内宮、外宮、前宮の対比となる。

また古代シュメール系神殿は、二社並祀が一般的で、海神、日神、火神などのうちの二神を並べて祀るのであると。

海神の子が日神。日神の子が火神であり、右上左下であると。

伊勢神宮の場合、内宮(日神)、外宮(海神)。
日前・國懸神宮の場合、日前宮(日神)、國懸宮(火神)となる。

ここまでが『天孫人種六千年史の研究』の説。

日前・國懸神宮は現代ではあまり知られなくなったが、全国の神社の中で唯一伊勢神宮と同格の格付けがされた神社であり、古代有力七社(伊勢神宮、安房神社、熊野大社(島根県)、鹿島神宮、香取神宮、日前・國懸神宮、宗像大社)に名を連ねている。

この有力七社の中の宗像大社であるが、辺津宮の御神体が本来鏡であったという説がある。

古語拾遺には、天照大神が瓊瓊杵尊に草薙劔と共に授けた八咫鏡と、宗像神の八咫鏡が「斎鏡」であるという記載があるという。

八咫鏡を御神体とするのは、全国の神社で伊勢神宮と宗像大社の辺津宮のみであるという記載も見受けられる。

宗像の祭神は、海神である。外宮豊受大神と宗像大社の祭神とは共通項があるのかもしれない。

しかし、海神→日神→火神とすると一番の親神は海神ということになる。アマテラスの存在を考えるとここは少し違和感がある。

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