竹中平蔵の上司のような「工作員のような男」デービッドアトキンソンは、月刊プレジデントという雑誌の中で、

「日本の中小企業は効率が悪く税収にも貢献しないガンのような存在だから、可能な限り潰すべきだ」

などと言っているという。

ガンは君だよデービッド。

彼は小泉政権以降一貫して政権の中枢で御意見番的な役割であり続けている。

経済合理主義や企業利益至上主義が果たして国家や国民を豊かにしているかどうかについて検証するには米国社会が今どうなっているかを検証すれば済むはずだ。

これに対して、「孤高の」経済学者である増田悦佐氏は彼の著作でこのように言っている。

以下引用。

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アダム・スミスはたった一度だって

「企業がボロ儲けすればするほど、そのうち下々の者にもおこぼれが回ってきて社会全体が豊かになる」

などと言っていない。正反対だ。

「企業利益率が低い国ほど、平和で、豊かで、社会全体が着実に進歩している。逆に、企業利益率の高い国ほど、戦争が多く、貧しく、社会進歩が遅々として進まない国だ」

と主張していたのだ。

アダム・スミスは企業ばかりが儲けて、働く人々にちっとも経済成長の成果が回ってこない状態を防ぐことを、経済学者が考えるべき重要課題のひとつと考えていた。

「企業の儲けすぎを防ぐ唯一の有効な手段は、あらゆる企業を競争の渦中に置いて、市場に対して価格支配力をふるえる企業が発生するのを許さないことだ」

(「景気は操作できると思っているエリートの大間違い」増田悦佐 より)

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この論理に基づけば、M&Aを不必要に繰り返してガリバー化させ、結果数社独占の巨大企業だけが特定産業を支配することは、社会の不安定化・疲弊化を促進するということだ。

今まさに「世界」という舞台でそれが起こっている。

中共の「国家資本主義」というのもまた上記と全く同じ質のもので、双子のようなものだ。

日本のように数多くの大中小の企業がひしめき合っているということは、それ自体、富が分散していることの証拠でもある。

企業が寡占化すれば、その企業体が自由に価格操作と品質を操作できる。また雇用経費も都合の良いように圧縮可能になるだろう。安い労働力を世界中から集めて粗悪な商品をばら撒くのも自由。選択肢がなくなれば購買者は何も文句は言えなくなる。

究極の資本主義は超経済合理主義社会を産み出すが、それは同時に「社会主義的」全体主義へと移行する。これこそがマルクスが最終的に目指した社会だということだろう。

等しく貧しく、世界中の極めて極(ごく)限られた利権集団だけが永遠に富み栄える。

我々はその逆を目指さねばならない。

写真 アダムスミス

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