キリスト教信者の悲哀

全世界にキリスト教信者は、二十億人ほどいるらしい。

発信地であるユダヤ・ヨーロッパ文明圏及び、ピューリタンの新天地で信仰する西洋人達は別として。

世界中で植民地帝国主義時代に侵略され自らの文明と領地と自らの尊厳を奪われた地域の多くにキリスト教信者がいる。

南米、中南米、フィリピン、朝鮮半島などは代表的であろう。

彼らはなぜ自らの土地とルーツに根差した神々や祖霊や自然霊を敬うことをしないのだろうか。完全に忘れてしまっているのが大半に思える。

これは厳然たる事実だが、そういう地域の大半は、先進国にはなれず、治安が不安定で、価値観の混沌とした社会の中で、極端な貧困に喘ぐ者が人口の大半を占める厳しい社会である。

自らの起源に全く目を向けず、「別の土地の神」を信じるということ。

別にそれを信仰しても構わない。しかし同時に自らの起源に根差した神々や祖霊に目を向けるべきだろう。そういう心を全く失った地域は「永遠に」真の発展と幸運の恩恵を受けることはないと私は確信する。

それは「支配者」の望みでもあるのだろうか。

その土地の奥深くに鎮まり、完全に虐げられ、深い眠りについているこうした神々や祖霊達が、そこに住む人間に全く顧みられることのない社会。それが世界の多くの地域に存在するのが現状である。

私はキリスト教を否定するものではない。

それはそれを信仰する必然性のある地域や民族において信仰されるべきであり、それはまたそれらの人々にとって重要なことであるだろう。

日本文明が、土地に根差す神々や祖霊や自然神を祀ってきたことは我々にとって極めて重要な意味を持つ。

他のほとんどの地域にはそのような習慣が今やないからである。

世界の不安定化とこのような問題は密接に関わっている。

文明の一極化。単一化が進んでいる。しかし、現実にはそれに全く噛み合わない地域においてもなかば強引にそれが進んでいることからくる矛盾や魂の亀裂が進んでいる。

日本人は、そういうことまで捨てて「世界標準」の波にのまれ、それがいいんだ。みんな一緒だから、という感覚に陥って自らの文明を捨ててしまったならば、もはやこの国になんのポテンシャルもプライオリティーもなくなるだろう。

世界と同じがいい。なんていうのは「愚民の思考」に過ぎない。

日本がここまでこれた最大の原因は、とりあえずこれまでは、決定的に「愚民」に導かれなかったということであろう。

世界の全ての人々は、自らの土地と歴史に根差した、先霊や神々や自然霊を敬うことを始めるべきではないか。

しかし、己の信仰を捨てる必要はない。キリストの神を信じても構わない。しかし、それだけではあまりにも「不遇」である。

国家・国境の曖昧さとはここにある。文明圏・文化圏の設定を重視せよとはそういう意味である。

(写真:エルサレム聖墳墓協会 出典:https://plaza.rakuten.co.jp/mana9/diary/201711240001/)

昭和天皇陵(武蔵野陵)・皇后陵(武蔵野東陵)

八王子市の高尾駅から徒歩20分ほど。

昭和天皇皇后陵と大正天皇皇后陵は同じ敷地内にある。

墓ではあるが、これほど清々しいお墓というものはないだろう。天皇陵は大概そうだが。

敷地内の雰囲気は明治神宮や鹿児島県大隅半島にある吾平山上陵に似ており、陵墓と言うよりは神社というか神域のようである。

大正昭和天皇には神社がないため、この地を訪れるのが良い。

新しい御代を前に、数年ぶりで訪れた。

高尾駅 山王社

江戸時代に村人が山に薪を取りに行った際、死んだ猿を見つけ、これを葬り祠を建てた。

以降、これを祀り、年に一度(四月初申の日)の祭礼は今も続いているという。

アジアには動物を聖なるものとして尊ぶ風習がああるが、こういう由緒の神社は初めて見た。

一切万霊。猿も神になります。

グローバリズムは最終的に共産革命を引き起こす

グローバリズムとは結局形を変えた植民地帝国主義に他ならない。帝国主義が重商主義に変わっただけのことである。

企業利益は人の幸福とは無関係に増幅し、反比例する。

企業の進展は人の幸福には全く結び付かない。

企業はより安い労働力を求めて、より賃金の安いエリアに移動していく。

その一方で、先進国内においてもより安い労働力を企業側が要求し、より低い賃金でも働く、非先進国からの移民を要求する。

先進国内における賃金は低下するか、さもなくば既存の労働力が社会から疎外されてゆく。

移民は「低賃金労働者」であることを求められているだけであり、彼等が高賃金労働者への道を開くことは難しいだろう。

既存の文化文明の圏内に、異文明・異文化の人々が単に「低賃金労働者」としての要求にのみ応じる形で入り込む。

それは、あらたな差別社会を産み出し、もろもろの紛争や迫害の温床になるだろう。

一方で既存の住民の大多数もまた決して等しく豊かになるわけではなく、国内の諸状況におけるフラストレーションが増幅してゆく。

「低賃金労働力」としての異文化、異民族が既存の住民に拮抗するに従い、暴動や革命の機運が高まるだろう。

結局、グローバリズムの最終到着点は、新たなる「共産革命」の勃発に他ならない。

しかし、それは理念を伴ったものにはならず、単なる「感情的爆発・暴発」「怨念」という形で起こるだろう。

結果それは文明というよりは、これまで人間が積み上げてきたことの、人間社会の、あるいは人間生活の破壊のみをもたらしてゆく。

次にそのような現象が世界規模で起これば、長期間に渡り、人間の良い意味での「進展」は期待できない状況になるだろう。

人間の自業自得と言えばそれまでだが、それを阻む新たな価値観を日本人が日本文明の価値観から導き出す必要がある。

一神教文明から生み出されるさまざまな価値観は、結局、何をやっても結論が同じことの繰り返しに過ぎず、いずれ、あるいはしだいに人間社会が退行していくことを助長するだけのことに過ぎない。

欲望・富・価値意識を一か所に集める活動を止めるということだ。そういう価値観を人間個々の目標に設定することを止めるということだ。

価値の分散。分立。八百万。

価値観が変わるだけで人間社会全体の意識は変わり、社会構造も生活スタイル全般にいたるまで変化していくことになる。

国家・国境に代わる新たな価値意識、文化圏・文明圏の設置。これがまず必要になる。

神人 吉田松陰

ここ数日、吉田松陰とは何かについて考えた。

信長と似ていると直感したが、よくよく考えてみれば随分違ってもいる。(前記事参照)

では何故そう感じたのか。

ふとある考えが浮かんだ。

「吉田松陰とは、神人ではないのだろうか?」

神道では神人という言葉がある。

そう思った瞬間に全てが腑に落ちた。

まず、そう考えた最大の理由が一つある。

松陰の全人生を見渡しても私的活動がほとんど見当たらない。

と言うことである。

三十年という極めて短く、かつ若年の青年が、わずか十年に満たない期間に、何故これほど多くの人を動かし、国の命運にまで、大きな影響を与えることができたのか、そして今だに多くの人を魅了し続けるのかは、大きな疑問であった。

しかし、彼を常人でない、神人であると考えた時、全てが腑に落ちたのである。

信長も神の化身のようであるが、信長とは違うタイプの神であろう。松陰は純粋である。

しかし、神人ということが、私が直感的に感じた二人の共通項であると解釈できた。

吉田松陰とは、日本の神々の神霊の化身か、神霊が宿ったのか、憑依したのかわからないが、何れにしても神人であったことは間違いないように思える。

キリスト教カトリックには列聖会議というものがあって、聖人か福者かを会議で決定するが、神道にもしそのようなものがあったとしたら、確実に聖人に列するだろう。

ジャンヌダルクは聖人である。

その意味で松陰神社があるというのは誠に理にかなったことであると思う。

日本史には時として、危急存亡の時、かくいう神人が現れる。

日本人が神々を大切に思う心を持ち続ければ、これからも「松陰」は現れるに違いないと信じる。

(写真 浦賀 松陰象山邂逅の碑、乃木神社摂社 正松神社 、東京世田谷 松陰神社境内 吉田松陰墓所)

信長と松陰は似ている

先日、明治維新から現代にいたる歴史的プロセスの起点に信長がいると書いた。

信長の天才的先見性とそれを現実化するための果敢な行動力と発想力。

松陰の才気ほとばしる先見性と過激なまでの行動指針。そしてそれを支える国への激烈なる思い。

支配者と教導者という立場の違いはあるものの、過激な革命家(あるいは革命的変革者)という意味でも、その気質においても両者には共通点がある。

この二人が、心中に秘めた「国のかたち」を理解するには百年かかるだろうと、本人たちはそう思っていたに相違ない。

先週、吉田松陰の末裔の方とお会いする機会があり、お話を聞いたり、文章を拝見するなどしているうちに、ある言葉が浮かび出た。

「命をかける。身命を賭す。命に代えても。などという言葉を簡単に言う人がいますが、まことに耐え難いのです。玉木家(松陰の生家)は、男はみな死に急ぐものばかりで、残ったものは女ばかり。後に残されたものがどれほどの思いをしたことか。考えてほしいのです。」

その言葉のすぐ後ろに、吉田松陰が影のようにぼんやりと浮かびあがる。するとその言葉の重みにずしりと刺さるものがあった。

男の影に女あり。女の影に男あり。相反するものが共に交わりながら人間社会は成り立っていく。

「死は好むべきにあらず、また悪むべきにあらず。道尽き心安んずる、すなはちこれ死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり、心死すれば生くるも益なきなり、魂存すれば亡ぶも損なきなり。死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあればいつまでも生くべし。僕が所見にては生死は度外におきて、唯、言うべきを言うのみ。」(『松陰全集』より)

檄文である。

するとこんな謡の文句が浮かび上がる。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり 一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」

信長の辞世の逸話に出るこの謡は、松陰の言葉と意味するところは少し違うものの、死生観に流れるある共通性を禁じ得ない。

このような言葉を言う人のごく身近にいる人々にとっては、我々が知るよしもない、さまざま複雑な思いがあるに相違ない。

しかし、松陰という、維新の「金字塔」が日本と、そして結果的に世界史を回天させる機動力・原動力になったことは疑うべくもない。

信長に始まり松陰に帰結する。

過激な二人の革命家(あるいは革命的変革者)は一瞬にして時代を駆け抜け、そして去った。