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日本文明・神道の話

日本-型の文化と欧化・支那化の歴史

日本は型の文化であると言われることがある。この論考を誰が唱えたのかの記憶がないが、これを日本的な文化形態の重要なものとして取り上げることがあるのは事実である。

「型」とはパッケージすることだともいえる。

私は幕末維新・明治期における欧化の歴史を見るに、日本の「型」の文化とは、日本固有の在り方を示す文明的な形態を示すのではなく、外から何かを取り入れる際に、それを「パッケージ」化して自らの文化的基盤の上に流し込む所作のことではないかと思った。

「型」自体に何か日本的なものが含まれているわけではない。

日本的なものは本来別のところにあるが、それを温存、保護、または発展進化させるために「型」によって新しい何かを自分の世界に取り込む。

日本の歴史に大きな「型」による新たなるものの採用・流入の実施が少なくとも二回ほど起こっている。

大化の改新における中華文明の大規模な採用は、支那の律令制度、官僚制度を大々的に取り入れて国家を強化することを行った。

また、全く同じように明治維新以降においては、西洋文明を大々的に取り入れ、主に産業技術、医術、法律などを大規模に採用して、国家としての強靭化を行った。

この二つのいすれもが、外圧による国家的な危機に起因している。

大化の改新時においては、天智天皇の時、白村江の戦いで大敗を喫して、朝鮮半島における拠点を失い、半島が新羅により統一された後、唐・新羅軍が日本に侵攻する危険性が非常に高まった。

明治維新期においては、西洋列強がアジア全域に進出し、植民地帝国主義の下アジア地域を自領化する中、日本にもその危機が迫ったことによる。

米国は日本の門戸を力づくで開放させた上不平等条約を結ぶ。ロシアも直接あるいは、朝鮮半島を自領化する意図をあらわにし、英国、仏国、独国も同様にアジアへ進出してきたからである。

日本史において、「新」という字がつくのは、大化の改新と明治維新以外にあっただろうか。

「型」は日本を活かすための方法論のひとつであり、それ自体を日本的とは言えないように思った。

しかし、いまだかつて日本人自身が、これこそ日本文明であると明確に定義しえたことが極めて少ないことが、「欧化」が進み過ぎた現代社会にあって最も危惧すべき点である。

このままでは、「型」だけが残り、本質を喪失した状況になりかねない。いやもうかなりなっているという気がするのである。

(写真:陸羯南)

祭儀と祈り

意識世界・霊的世界での活動がまず先行し、その後それが物質界に反映される。

これに先行して(というか同時並行的に)、意識・霊的世界で起こったこと、あるいは活動情報を取得する行為が「予知」「発明」「創作・創造」活動となる。(詳細は一つ前の記事)

このプロセスに対して、その逆のプロセスが祭儀と祈りの意味となる。

人が祈りを捧げることで、「願い」を物質化する。神々に思いを伝えることで神々にそれらの思いを意識化していただく。

神々が人の願いを意識化すること=物質化へつながる、というプロセスになる。

もちろん「願い」が物資的なものばかりではないし、それらの「願い」を神々が聞きとどめるかどうかは分からない。

いずれにしても我々人間社会に自らの願いを反映させたいという思いを意識・霊的世界、すなはち神々にお伝えするという行為が祭儀であり、祈りである。

「祝詞奏上」とはまさにそのことである。

神道の祭儀の手順はおおまかにみると、

潔斎(禊)を行い→神々をお迎えし→供物を捧げ→祝詞を奏上し→歌舞音曲を奏上し→供物を撤収し→神々にお帰りいただき→直会(参加者に供物を共有いただく=参加者と神々との共有する時間=おすそわけ)

ということになる。

密教での行法、例えば、金剛界法や胎蔵界法などの修法もほぼこれと同じプロセスである。

ただし、密教の場合は、結界をめぐらすということがあり、神道で言う祝詞奏上の前に、仏神との一体化、すなはち、「入我我入」を行い、修法者と仏神を一体化させる儀式を行う。(神道でも同じプロセスが加わることもある)

人から神々へというベクトルにおける唯一の働きかけ。これが祭儀の意味であり、祈りの意味となる。

日本の神々を守護天使と呼ぶ

日本には様々な神々がいる。

食物の神 酒の神 など。東京の王子神社には髪の神なんていうものもある。なんでも神になる。

酒の神ならば松尾大社になるんだろうけれど。

これを西洋に持ち込む場合「神」という表現は適当とは言えない。

「神」というとキリストの絶対神と比較混同してしまう。

しかし守護天使と呼べば彼らは理解できるし、実際意味合い的には最も近い。

最も太陽神のような存在を守護天使とは呼べないが、天使は神に変わって人間にメッセージを伝えたり守護したりする存在である。

だから、例えば「酒の神」を説明する場合には、

酒の守護天使だと言えば良いのではないか。

あるいは、ローマ神話には「バッカス」という酒神もいるようだが。

写真 : 松尾大社/守護天使/酒神 バッカス

朝鮮半島の動向と日本史・天皇・国体

日本史上、海外の脅威に際して、大きな事績を残した歴代天皇は、言うまでもなくまず明治天皇があるが、今一つ大きな事績を見るならば、大化の改新後における天智天皇がある。

このいずれもが、朝鮮半島の動向と密接な関わりがある。

天智天皇の時代、白村江で大敗を喫し、半島における拠点を失った大和朝廷は、唐・新羅の侵攻に備え、対馬から近畿地方にいたる道筋に堅固な要塞を築き半島からの侵略に備えると共に、近江への遷都を行った。

近江遷都は、西から侵攻してくる唐・新羅軍が仮に近畿地域まで進出してきても、京都の東山が大きな壁となり、背後には琵琶湖があるから、いざとなれば船で琵琶湖を渡り東方面への移動が容易である。近江遷都というのは当時の国家的緊急事態を示している。

さらに中国の律令制度を採り入れ、法整備を固めて、官僚制度の構築し、国家としての権力基盤を強固なものとした。

明治と違うのは、天智天皇は白村江に敗れて対外的には劣勢にたたされた。明治は逆に西洋列強、主にロシアからの動きの先手を打つ形で朝鮮半島に手を入れたのである。

危機の度合いから言えば、唐・新羅からの侵攻よりは、露英仏独米等の西洋列強からの侵攻と圧迫を受けた明治期の方がはるかに大きかったであろうけれども。

日本という国家が大きく動く際には必ず半島の動向が密接に絡んでいる。

これは好むと好まざるとに関わらぬ日本の地政学的宿命であろう。

今まさに同じような状況にある半島情勢。

この時点での天皇の譲位御決断というものも天皇御自身の発意ということではあるものの、本質的には、より大きな意志がそこに関わっている可能性もあるのではないか。

昭和50年代の中頃くらいまで、半島の38度線は非常に緊迫した状況があった。当時頻繁に南北の電話会談や板門店での南北閣僚会議などがあったが、今と全く同じ。話が上手くいくような雰囲気を見せるが、すぐにちゃぶ台をひっくり返す。

当時、子供心にも、こんな茶番をいつまで繰り返すのかと思ったものだ。今も何ら変わらない。学習能力がないのか。そもそも茶番と分かってのことか。

どう考えても、話で半島問題が望み通り解決するなどということがあり得るようには思えない。

北朝鮮の権力の完全なる保存保持保障。これがどこまでも絶対条件なんだから。核兵器廃絶の可能性もパフォーマンスに過ぎないだろう。核を完全放棄すれば今の政権の首は絞められることに疑いがない。

韓国は現政権が北朝鮮と通じているだろうが、中国と結託して半島を統一する方向付けができればいつでも北を裏切るに違いない。一方中国が北を本気で信頼するとも思えない。

米中の半島における駆け引きが最大の焦点だが、この場合、半島問題は台湾問題とセットで話し合われることになるのは間違いない。バーター取引があるのかどうかだが、中国は絶対に引かないだろう。そうなると米国は損失だけで益がない。

相変わらず先が見えない。不透明な状況には違いない。厄介な土地である。

北朝鮮が何等かの理由で自壊したとしても簡単に半島が統一に向かうかどうかは米中の出方次第。いずれにしても米が半島から手を引けば中国寄りで半島は統一。これは現在の韓国政府の思惑でもあろう。

半島における米中パワーバランスの最終的な落ち着きどころがどうなるかということと東アジアの今後の動向は密接に絡むが、その流れで日本という国家の立ち位置がどのようなものであるべきかを日本人として模索、検討していく必要がある。

これは日本の国家も個人も企業にも関わる大きな問題になるだろう。

国体、国柄。そういうこととも密接な関わりがあるが、まだそこまでの意識が日本人自身に芽生えていない。

次の御代への移行前後。そして東京オリンピック以降。日本の本質に関わる部分での既存の価値観の崩壊現象のようなことが今以上に続々と起こるだろう。

良いことも起こるし、悲劇的なことも起こる。極端なことが同時並行的に噴き出す。そういうことになってくると思われる。

しかし、それは産みの苦しみと見たいところである。

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